今日が3/11で、だけど今は皆コロナウィルスに怯えている。
あの時の方が辛かったとか言えない、それぞれのそれぞれの立場の苦しみや辛さがあるよね。
阪神淡路大震災でお父さんを亡くしたという女の子が随分前のアルバイト先にいた。
何も言えなかった。
東日本大震災では石巻を訪れたけれど、何も大したことは出来なかった。
私には権力も名声も無いし、意識も高いとは言えない。
私には何も出来ることが無い…思ってはいつも自己嫌悪。
それでも、ここぞとばかりに権力を振りかざす人たち、曲がった欲で利益を得ようとする人たちが許せない。
そして、ただ漠然と世界平和を願うのも物足りない。
何が大切なことか、何か出来ることがあるとしたら何だろう…そう考えていた。
お風呂場で。
そうだ、今日は黙祷さえできていない。
いえ、いつもしているわけではない。
結局、目の前のことでいっぱいいっぱいになって生きているのが私。
それでも、それって駄目なことなのかしら…とも考えてみる。
じゃあ、こんな意識高くもない私ができることがあるとしたら…黙祷の代わりに…
いえ、黙祷した後でもいい。
起こったことを思い返して祈りを捧げることも大切。
では、その後に例えば、
私の目の前に居る人を1分間のうちに笑顔にすることに集中してみる。
簡単かも知れないし難しいかも知れない。
簡単な人かも知れないし難しい人かも知れない。
それでも、やってみる。とりあえず。
黙祷は一年に一回だから少ないかも。
だったら、思い付いた時にはいつもそれを心がけてみるとか。
ものすごくバカバカしいと笑われそうだけど、そんなものすごく身近なことをちょっと頑張ってでもやってみることができるかどうかって大切なんじゃないかしら。
評判のためじゃなく、純粋に目の前の人の為(そして自分の為)にそれができたら、、
むしろそれが出来ない人には世界を救えないよね。
でも、きっとそんなことが、そんなバカバカしく思えることの輪が(和が)広がることが平和への第一歩じゃないのかしら…
とか、また笑われそうだな…と思いながら具体的に考えてみてる。
今日は暖かかったとはいえ、お風呂上りで湯冷めしそうな感じなのでそろそろ…静かにします。
長い独り言。
でも、ちょっとだけ前向きなこと考えられたのはよかった。
今日は9年前のことを思い出しながら…の夜でした。
おやすみなさい。