当事者でないということは、リアリティに欠けるということかな。。
私自身が直面していることも簡単ではないけれど、過去に起こったことや現在も続いていること、今現在起こっていることで精神的にも物理的にも生きるか死ぬかのところで闘っている人たちがいることを考えた時に自分が発する言葉、アイデアがいかに拙いものかと改めて感じてだんだん苦しくなってきていました。。
誰かを傷つけたり不快感を抱かせてしまうことがもしあったとしたら、それはもっともっと苦しいこと。
自分にはそんな影響力もないけれど、公の場で何かを発する時には誰かしらが目にして何かを感じる危険性を考えなければならないね。
以前お世話になった人に、「ネガティブな内容を書くと人が心配するから止めた方がいい」とお叱りを受けました。
私自身は自分の苦しさを聞いて欲しくて発するというよりは、私の感じたままを発することが音楽を通しても通さなくてもやるべきことだと感じているからなのだけれど、それさえ良いことなのかわからない。
その揺れの中で前向きになったりなれなかったり。
できればそれそのままを出すことが可能であれば有り難い。
決して、誰かを不幸にしたくてやっていることではないので。
無視してもらっていいし、近くに来てもらってもいいし。
でも、先ずはここ最近の自分の置かれた状況と私の足りない配慮が原因で今、誰にというわけではないにしても申し訳ない気持ちが沸き起こっています。
難しい部分に蓋をして、幼稚な考えでひとり前向きになれた気がしていたけれど…それも必要なことだと今でも思っているけれど、同時に違う感情が胸の辺りでモヤモヤとしています。
漠然とした希望でも、やっぱり持っていたいし、今現在様々な環境で苦しんでいる方々にとって少しでも楽な状況、良い状況へと変化していくことを願っています。
うまくまとまらなくてごめんなさい。
天気の良い日はせめて新鮮な空気を吸い込んでリフレッシュしたいものですね。
たくさん食べて、水分摂って、よく眠ってください。